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Heart Meets Worldの活動内容や、ブログ記事を定期的に更新しています。
2017/10/06
タブー習慣。
子供の頃は、確かに「道路を渡る際には『右、左、右』を見て」と教えられた。
だが、人生の半分をアメリカで過ごした私は、
今ではどうしても『左・右・左』を見てから渡ってしまう。
習慣と言うのは怖いもので、
慣れてしまえば何とも思わない。
例えば、何かを指差しながら説明をする時。
日本には、中指で差しながら説明する方が結構居られる。
日本に帰って来てから、
暫くの間はそれを見て背筋に冷たいものを感じたものだ。
私は大人になってからこれまで、
それほどの絶対的屈辱行為を受けたことがない。
海外、特にアメリカでは、それほどまでにタブーな行為だ。
そして、もう一つ気になるのが十字架。
ファッションとして軽い気持ちで
十字架を身に着けている人が日本には多い。
下手すると、プレゼントにもらうことすら、ある。
私はキリスト教徒ではないので…と
丁重にお断りしなくてはいけない訳だが、
断られてもその意味がわからない日本人は意外と多い。
十字架はキリスト教徒にとっての聖なるもの。
神を信じぬ者に容易く身に着けてもらいたくないのが彼らの本音で、
ファッションにしてしまってはむしろ、侮辱にすらなるのだ。
そんな、常日頃の習慣。
皆様は、そんな習慣が
海外・外国人にはタブーである可能性があることを、
ご存知でしたか?
子供の頃は、確かに「道路を渡る際には『右、左、右』を見て」と教えられた。
だが、人生の半分をアメリカで過ごした私は、
今ではどうしても『左・右・左』を見てから渡ってしまう。
習慣と言うのは怖いもので、
慣れてしまえば何とも思わない。
例えば、何かを指差しながら説明をする時。
日本には、中指で差しながら説明する方が結構居られる。
日本に帰って来てから、
暫くの間はそれを見て背筋に冷たいものを感じたものだ。
私は大人になってからこれまで、
それほどの絶対的屈辱行為を受けたことがない。
海外、特にアメリカでは、それほどまでにタブーな行為だ。
そして、もう一つ気になるのが十字架。
ファッションとして軽い気持ちで
十字架を身に着けている人が日本には多い。
下手すると、プレゼントにもらうことすら、ある。
私はキリスト教徒ではないので…と
丁重にお断りしなくてはいけない訳だが、
断られてもその意味がわからない日本人は意外と多い。
十字架はキリスト教徒にとっての聖なるもの。
神を信じぬ者に容易く身に着けてもらいたくないのが彼らの本音で、
ファッションにしてしまってはむしろ、侮辱にすらなるのだ。
そんな、常日頃の習慣。
皆様は、そんな習慣が
海外・外国人にはタブーである可能性があることを、
ご存知でしたか?